●「日本漆喰工業会の設立にあたって」
-日本漆喰工業会会長
田川産業椛纒\取締役 行平 信義
設立の経緯
1999年9月1日という大変覚えやすい日に、日本漆喰工業会の記念すべき設立総会が、福岡のシーホークホテルで行われました。各界ゲストの方々にも座談会で活発な提言を頂き、盛会の内に終了しました。それに遡る5月に東京で発足会議、4月が準備会議という早い展開でした。全国を網羅する漆喰メーカーの組織については、以前から水面下での話としてありましたが、公式な提案として動議されたのは昨年の夏が初めてでした。お互い、膝をつきあわせての話し合いをしてみると、現状に対する危機感において、皆同じ思いでした。建築工法の乾式化に押されての長期低落傾向や左官業界の高齢化に伴う漆喰技能者の減少、又、少子化と未曾有の不況による住宅着工件数の減少と言った環境の変化です。 そのような逆風の中、時代の変化を告げる出来事がありました。ホルムアルデヒドを筆頭とする揮発性有害化学物質や結露からくるカビ、ダニによるシックハウス症候群の健康被害が大きな社会問題としてとらえられ始めたことです。丁度、時期を同じくして出現した珪藻土入りの仕上げ材は、この問題がテコになって急速な社会的認知を得ることになりました。数年前までは一部の人しか知らなかったシックハウスという言葉を、今では知らない人のほ方が少なく、テレビ朝日のニュースステーションでも「内装は漆喰がよい」と言われるまでになりました。
しかし、左官業界には過去に苦い教訓があります。一世を風靡した維持壁の流行は、結果的に業界の首を絞めることになりました。珪藻土を契機とする今回の動きが単なる上滑りのブームに走らないようにして、地に足の付いた活動に育てていかなければならないと言うのは業界共通の認識だと思います。
漆喰、と言うよりその原料たる石灰を作っているメーカーは100年200年の歴史を持つ、古い会社も多く、過去の盛衰をずっと見守ってきました。そのなかでも、漆喰を専業としている会社は、小規模なところが多いのです。世の中に漆喰に対する正しい認識を持っていただき、漆喰の普及を促進するためには、個々の企業努力もさることながら、一致協力して啓蒙活動に努めるべきだということで速やかな合意に至ったのは、正に時代の要請によるものではないかと言う感があります。
会の目的
「本会は、日本の伝統的な不燃建築仕上げ材である漆喰やドロマイトプラスターの普及、技術の向上、広報活動を通じて、設計及び施工の業界との情報交換・連携を図り、日本の伝統的な左官工法による安全で健康的な建築文化を後世に継承して行くための一助となること、合わせて会員及び左官業界の発展と、相互の親睦を図ることを目的とする。」
これが、日本漆喰工業会の会則にうたわれた目的です。塗り壁はそれを施工する左官技術者の存在があって、初めて壁になります。又、当然のことながら、その機能性や質感など、漆喰の価値を十分に理解し、支持して頂ける設計者・ユーザーの存在なくしては存続し得ません。その基本があってこそ、仲介の販売業者や建築業者の方にも活躍して頂く場が出来る訳です。
我々製造の業界は、有害物質を含まず、燃えず、環境負荷も低い漆喰の価値について広く啓蒙活動に努め、又、施工の方法についても施工の業界との情報交換を深めて、正しい施工方法の普及を図ると共に、建築工法の変化に合わせた施工方法の開発に努めていく事で、塗り壁文化に対して、より積極的な貢献をしていく決意をするに至りました。
漆喰の歴史と現状
世界の漆喰の歴史は大変古く、4〜5000年は優に遡ります。エジプトのピラミッドや古代地中海文明の時代から、石灰モルタルとして使われていた史跡が残っています。日本では、約1200年前、高松塚の古墳に描かれた壁画の下塗りが漆喰であることはあまりも有名です。石灰の利用は生活と共に発展してきましたが、日本の建築の世界においては、海草糊を利用することの発見が世界でも類を見ない独特の発展を促すことになりました。桃山時代以前は米で作った糊を使用していたため、寺院や朝宮など余程の高級建築でなければ漆喰を使えなかった状況が、安価な海草糊の登場により変化したと推測されます。姫路城を嚆矢とする白亜塗籠の城郭や武家屋敷など、防火上・美観上必要なところから漆喰は使用され、築城ブームに伴って原料製造・施工技術共に大いに発展を遂げることになりました。戦国時代の終焉によって、その余力が町屋や土蔵などに向けられようになりましたが、同時期の海草糊の発見がなければ、その後の日本建築の原型となった数寄屋造りの色土壁や町屋の漆喰壁の発達は違ったものになっていたことでしょう。
原料も当初は貝灰が多く用いられ、石灰石を薪で焼成するのが主流になったのは慶長年間と言われています。このころまでの石灰の主な用途は、この漆喰と肥料用でした。明治になって無煙炭による焼成も始まりましたが、石灰の焼成が本格的な工業として発達を始めるのは、第一次世界大戦の頃から、セメントや化学工業、特に鉄鋼業が発達するに伴っての事でした。また、第二次大戦後石灰石の利用は飛躍的に成長し、以後1980年頃までは一本調子の量的拡大が続きましたが、その後は一進一退の状況です。こうした近代産業の発展の陰で漆喰の存在感は徐々に薄れていくことになりました。石灰産業界そのものが圧倒的な需要者であった鉄鋼・化学工業向けの生産に特化していったこと、明治期に西洋文明の急速な吸収が進む中で、官主導でポルトランドセメント生産技術の開発に邁進していったこと、前近代的な技術と見なされた漆喰は、確かに産業としては未整備で、糊の炊き方やスサの調合などは個々の左官職の経験と知識に頼っていたことなどが、官・学の世界においても徐々に無視されていく結果になりました。漆喰についてのJISは「左官用消石灰」と言うたった一つの規格しかなく、セメントやコンクリートに関する膨大な量の学術文献に比べれば、漆喰のそれは限りなくゼロに近いと言えるでしょう。漆喰に関する研究は未来を向かず、過去の技術を調査し、保存するといった文化的な側面の方が主体となっていったのです。
しかし、こうした流れが全てではありません。昭和30年代も終わりの頃、漆喰の世界でも画期的な出来事がありました。それが糊やスサを最初から配合した既調合漆喰の登場でした。現場作業の合理化が否応なしに進む中で、糊炊きやスサの分散と言った大変な作業から解放されたことは、漆喰が日本の建築の中で生き残っていくために大いに貢献したと思います。この既調合化によって初めて、漆喰製造が産業としての自立を果たしたと言えるのかも知れません。以来、30有余年、漆喰は生き残ってきました。しかし、その道のりはほとんど不遇であったと言ってもよいと思います。新しい製品を開発して持っていっても、まだそんな時代遅れのことをやっているのかと言った対応をされることもしばしばでした。どこの建材店に行っても、新建材が大きなスペースをとり、幅を利かせていました。時代は樹脂系のバインダーによる仕上げ材全盛期へと入っていったのです。熱心に漆喰技術の講習会を続けた一部の販売店や職人の方達の漆喰へのこだわり、そして地道に漆喰技術や施工現場の紹介を続けた業界誌等の力に支えられて、小さな市場ながらも漆喰は生き残る事が出来ました。それでも、自分たちが一所懸命やっている仕事は、いずれ時代の流れの中で衰退していく運命なのだろうかと、将来に不安を憶えることもしばしばでした。
そんな風向きに変化が起こったのはここ数年の出来事です。なかば見捨てられかけていた漆喰に、にわかに脚光が当たるようになりました。折しも世界で170年、日本でも120年の歴史を経たセメントによるコンクリート建造物に、深刻な劣化の問題が出始めた頃であり、もっと歴史の浅い石油化学製品による樹脂系の仕上げ材は、健康被害や廃材の処理問題など、環境との調和において、様々な問題点が指摘されるようになりました。日本古来の仕上げ材である漆喰の見直しという機運は、こうした大きな歴史のうねりの中から生まれてきた出来事なので「本流への回帰」と自分では呼んでいます。
将来への展望
イタリアの建築研究所の人が面白いことを言っています。イタリアの研究所で最大のテーマは現存する古代建築物の保存であり修復なのですが、石材、木材の耐久性は歴史によって証明されているが、セメントのそれはまだ証明されているとは言い難いので、修復に使用することにためらいがあると言うのです。パンテオン等の大ドーム建築も石灰モルタルによるコンクリートですが、2000年の風雪に耐えています。ポルトランドセメントの高強度を信奉するあまり、漆喰・石灰のポテンシャルについて、研究をなおざりにし過ぎていたのではないかという気がします。現在、人気を博している珪藻土仕上げ材についても、元来珪藻土仕上げ材等というカテゴリーは存在せず、珪藻土の入った漆喰か、セメントか、樹脂か、又その複合かでしかなく、珪藻土の呼吸性・調湿性を活かすのであれば、結合材は漆喰であるのが当然の帰結です。
衣食住と言う生活の基本要素において、人間にとって何が本当に大切なのかがだんだん見直されてきているように思います。食の世界では健康な身体を養うために無添加、無農薬の自然食品が求められ、衣の世界では最も快適な繊維は結局、綿や羊毛や麻や絹と言った自然素材に回帰しています。住の世界は一時期、視覚的なデザインのみに重点を置き過ぎ、人間にとって何が一番大事な要素なのかが見落とされてきたと思います。化学物質による健康被害と言うことは予期しない事態ではありましたが、美観と便利さの追求の中で、住の最も重要な要素である住む人の安全と健康を守るということに反するような状況になってきてしまいました。住の基本は貝殻のように外部は風雪や寒熱などあらゆるストレスに耐え、内部は人間を優しく保護するものでなければなりません。漆喰はその両方を満たす力を持っていると思います。優れた呼吸性と質感の優しさは内部使用にはもちろん最適ですが、内装用ばかりでなく、油漆喰の外装での耐久性は、屋根漆喰の例で見るようによく知られた所です。仕上げのテクスチャーも豪快な粗面仕上げのものからデリケートな磨き仕上げまで、広い応用範囲を持っています。しかし、なんと言ってもその呼吸性、不燃性、無毒性、廃材の無公害性と言った、時代のニーズに最適の特性は他を持って換えがたい価値があると思います。
前述したように、漆喰製造が産業として自立したのは、僅か30有余年前の事かも知れません。そうであれば、1000年以上の歴史を持つ日本の漆喰の世界で、初めて漆喰製造の工業会が出来たというのも納得がいくことです。漆喰産業の黎明期を経て、今ようやく発展期を迎えたと考えるならば、実りある前途が期待できるのではないでしょうか。漆喰の可能性はまだまだ奥が深いと思っています。産・学・官を挙げてその可能性を追求する日の近いことを望んで止みません。
参考文献:「壁」山田幸一 1981年法政大学出版局
建材フォーラム279号(11月号)(工文社,1999)所収,7頁以下
|